Posted by あしたさぬき.JP at ◆

 

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2014年02月02日
Posted by カミロイ人 at ◆2014年02月02日01:50Comment(0)

節分の豆まき

 節分がやってくる。節分は旧暦で言う大晦日にあたる。この日を最後に次の年に移り変わるわけだ。立春、立夏、立秋、立冬と4つの季節があるのだが、なぜ最初の立春の前日だけを節分というのだろうか?

 調べてみると、冬から春になる時を1年の始まりとし、この日を現在の大晦日と同じようにとらえて年に1回の節分にしたものだという。年賀状などで「新春のお慶びを申し上げます」などを書くのを思い出せば、日本人(あるいは中国人や台湾人)は春を迎えることを新年を迎えるのと同じ意味で使っていることに納得する。

 清玄実用書の会でもこれを何とか課題にしようと思ったのだが、ちょうどこの時期は「寒中見舞い」があるのでなかなか課題に取り上げることができないでいる。今年は無理でも来年は挑戦してみようと思っている。

 節分は「鬼払い」の行事がある。子どもの頃、よく耳にした「鬼は外、福は内」である。これは中国から来たものらしい。中国の大儺(たいな)が源流で、おそろしい形相の面をつけた呪師が疫鬼をおいはらう行事だという。日本に輸入されたこの儀式は706年に「土の牛」を作って、鬼払い儀式が行ったということだ。その儀式の名はは追儺(ついな)といい、朝廷では鎌倉時代まで大晦日の夜に行ったと「続日本紀」に書かれている。

 豆まきは室町時代から始まったもののようで、江戸時代になると、春をむかえる厄払いの行事として、諸国の神社や家庭にひろまり、体を豆でなでて厄をうつしたり、年齢の数だけ豆を食べたりするようになったという。



 では何故豆なのかというと、まめという字の判じ物である。「ま」は魔を意味する。「め」は滅を意味する。すなわち「魔滅(魔を滅する)」である。これは昔、京都に鬼が出たときに神様のお告げで鬼の目に豆を投げつければ鬼を退治できるとお告げがあり、その通りにして鬼を追い払った故事から来ているらしい。まあ、実際に鬼が京都に出たわけはないのであくまでも民話の域を出ないが。鰯の頭に柊も同様である。

 行事として一般化している豆まきだが、一つだけやってはいけないことがある。それは何かというと豆まきに「煎り豆」を使わないことである。煎り豆でなければ「芽」が出てしまう。これは先ほどの判じ物で考えると「魔の目が出る」ことになり大変不吉である。ご用心、ご用心。

例文)
寒さも一入の季節がやってきましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
わが家では、今年は玲二さんが鬼の役になり豆まきをすることになりました。
何でおれがという彼をなだめ、衣裳も揃えました。
子どもたちは喜び勇んで豆まきを研究しているようです。
この昔から伝わる儀式を通じてわが家の繁栄をもたらしたいと思っています。
ちょっと大げさかなと思うでしょうが、やる以上はそのくらいの気持ちが必要です。
このように今年もわが家は騒がしく楽しくやっていますのでご安心ください。
こちらの地区にお寄りの折ば、ぜひお越し下さい。心よりお待ち申しております。

(※記事は語源由来辞典、366日への旅 記念日編、節分の意味と由来とは?を参照した)