Posted by あしたさぬき.JP at ◆

 

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2015年03月23日
Posted by カミロイ人 at ◆2015年03月23日23:21Comment(0)

生きた証を残す?

 冠婚葬祭は人生について回る必須のイベントである。人は生まれ、成長し、成熟し、老衰し、やがて去ってゆく。人間の寿命はせいぜい80年程度。バーナード・ショーのように老いて成熟することができれば、生き甲斐があるのだろうが、一般人はますます衰えていくわが身を嘆きながら歳を重ねるのが普通だ。

 そうは言っても、人は死ぬまで生きていなければならないのだから、何か生きた証を残しておきたいと思うものだ。それが人助け(慈善行為)だったり、創造(作品作り)だったり、伝記だったりする。お金があり、才能があれば、前者は可能だが、普通の人はそれがないのがふつうだ。だから、せめて自分の半生、あるいは一生を振り返って自伝を作ろうとする。



 人の記憶とはあいまいなものだ。しかも、自分の都合のいいことしか記憶から思い出さない。それで自伝を作るのだから、当然自画自賛のものができる。それで、満足できるのならそれでいいではないか。より高みを目指す者はそこで満足しないのだから。

 松尾芭蕉は病の床で一句ひねってわが身を笑ったという。

 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

 見果てぬ夢を追いかけて、さすらい人であるわが身の幻を見ていたのだろう。こういう句を書いてみるのも一興だろう。ただ、元気いっぱいの人にはまだまだ無縁の句である。  


2015年03月09日
Posted by カミロイ人 at ◆2015年03月09日20:08Comment(0)

彼岸の到来

  産直では、お彼岸前になるととんでもない量の花が売れるそうだ。お彼岸にお墓参りの慣習が残っている証拠で、日本人らしいと言えば日本人らしい。どうも日本でしか行われていないようだ。

 彼岸は春と秋にあり、煩悩と迷いの世界である「此岸(しがん)」から悟りの世界「彼岸(ひがん)」へ到達するために、「六波羅蜜多(ろくはらみた)」の修行を行なう時期だという。知らなかったなあ。インド発生の仏教が故に、サンスクリット語を音で置き換えた日本語を何気なく使っているので意味も解らず儀式化していたのが本当のところだろう。

 六波羅蜜多というのは(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の6つの修行を1日毎に行うことだという。真正の仏教徒であれば、これは必須だろうが、私たち凡夫にはかなり厳しい制約である。



 書家としての私は書において、この六波羅の心を伝えるので精一杯である。行者としては彼岸の護摩を焚くのが一番の行であろう。

 さて、清玄実用書の世界では課題としては取り上げなかったものの、書き物として、彼岸で出される牡丹餅のことわざを考えてみたいと思う。

 ・ 棚から牡丹餅、あるいは開いた口に牡丹餅
 ・牡丹餅で腰打つ、あるいは牡丹餅食って砂糖の木に登る
 ・牡丹餅の塩の過ぎたのと女の口の過ぎたのは取り返しがつかない
 ・牡丹餅は米 辛抱は金
 ・牡丹餅は棚から落ちてこず

 牡丹餅に使う小豆(あずき)には魔を払う力があると信じられていたので、いろいろなことわざが生まれているようだ。短冊に書くには適当な句である。