2015年03月09日
Posted by カミロイ人 at 2015年03月09日20:08Comment(0)

彼岸の到来

  産直では、お彼岸前になるととんでもない量の花が売れるそうだ。お彼岸にお墓参りの慣習が残っている証拠で、日本人らしいと言えば日本人らしい。どうも日本でしか行われていないようだ。

 彼岸は春と秋にあり、煩悩と迷いの世界である「此岸(しがん)」から悟りの世界「彼岸(ひがん)」へ到達するために、「六波羅蜜多(ろくはらみた)」の修行を行なう時期だという。知らなかったなあ。インド発生の仏教が故に、サンスクリット語を音で置き換えた日本語を何気なく使っているので意味も解らず儀式化していたのが本当のところだろう。

 六波羅蜜多というのは(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の6つの修行を1日毎に行うことだという。真正の仏教徒であれば、これは必須だろうが、私たち凡夫にはかなり厳しい制約である。

彼岸の到来

 書家としての私は書において、この六波羅の心を伝えるので精一杯である。行者としては彼岸の護摩を焚くのが一番の行であろう。

 さて、清玄実用書の世界では課題としては取り上げなかったものの、書き物として、彼岸で出される牡丹餅のことわざを考えてみたいと思う。

 ・ 棚から牡丹餅、あるいは開いた口に牡丹餅
 ・牡丹餅で腰打つ、あるいは牡丹餅食って砂糖の木に登る
 ・牡丹餅の塩の過ぎたのと女の口の過ぎたのは取り返しがつかない
 ・牡丹餅は米 辛抱は金
 ・牡丹餅は棚から落ちてこず

 牡丹餅に使う小豆(あずき)には魔を払う力があると信じられていたので、いろいろなことわざが生まれているようだ。短冊に書くには適当な句である。




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彼岸の到来
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