2010年11月01日
Posted by カミロイ人 at 2010年11月01日10:40Comment(0)

法事が続くのだが

 どんな人間もいずれは死ぬものだ。これは生き物に課せられた宿命で逃れることはできない。子供の頃この世界から自分が消滅する恐怖で「すがるもののない恐ろしさ」というものを知った。自分の足元も、自分の体もなくなって、恐怖している自分もパッと消えてしまう。宇宙に存在しないということが、さらには自分が存在した宇宙さえも消滅するという。全く諸行無常である。

 前置きはそのくらいにして、最近になって親戚筋の人たちが相次いでなくなるようになった。もちろん、人間は年をとるものだから、順番に死んでいかねばならないのだが、それにしても世代交代がこうも頻繁に起こると、次は誰の番かなと心配になる。

 葬儀の場合は火葬場までついていって、故人が骨になるのを見なければならない。さらには、これは何の骨ですよと説明され、それを箸で送っていかねばならない。骨はもろく崩れそうになる。実際、火葬場の人は骨を砕いて骨壷に入れてくれる。それで帰ってきて初七日がある。

 これをこなすと、どっと疲労感が襲ってくる。少し横にならないと思う。そんな具合なので、法事も似たようなもので、終わるとどっと疲労感が襲ってくる。何故なんだろう?

 ひょっとすると、この体が自分の末期を重ね合わせて見ているのだろうか?自分もこうなるんだという悲壮感に襲われて潜在的にエネルギーを失ってしまった結果なのではないのだろうか。でも1日経つと、それも忘れてまたエネルギーを充填する。リセットして元気いっぱいになれるのであれば、年を取るに従って物忘れがひどくなるのも許せるのではないだろうか?

 朝ご飯を食べたか?昼ごはんを食べたか?晩御飯を食べたか?こういう問をし始めたらかなり問題だが!


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法事が続くのだが
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