2012年11月17日
Posted by カミロイ人 at 2012年11月17日10:17Comment(0)

祝儀・不祝儀は絶対

 人生は「冠婚葬祭」の連続である。生まれた時には「出産祝い」、「誕生祝い」、そして学校へ行くようになったら「入学祝い」、会社に就職したら「就職祝い」、友人が結婚したら「結婚祝い」、家を建てたら「新築祝い」、60歳になったら「還暦祝い」と続く。

 これは「祝儀」の代表的なものだ。「不祝儀」は葬儀や法事など突発的に起こるものと、定期的に発生するものがある。

 これ以外に、日常のお付き合いで「お中元」とか「お歳暮」、「暑中見舞い」やら「年賀状」といったものも定期的に必要になる。厭世的(えんせいてき)な生活をしているのでない限り、これらは避けられないものだろう。

 さて、このような冠婚葬祭に随伴してくるのが「熨斗・熨斗袋」だったり、「ハガキ」だったり、「奉書」だったり、「芳名帳」だったりするわけである。自分以外に書く人がいれば、その人に任せてしまえば全然問題ないはずであるが、緊急時にはそれも間に合わない。

 従って、自分でそれを書くわけだが、どうもそれらには仕様があり、ただ思いつきで書いたのではいけないようだというのが何となく分かってくる。それで、これだけでも人に見せられるものを書きたいと思いスクールに通いだすというのが一般的なパターンのようだ。字の上達というのはそのおまけぐらいにおもっているのだ。一点豪華主義とでもいった方が分かりやすいかもしれない。

 特に頻繁に必要なのが、「御霊前」とか「御香料」、「御悔み」、「御布施」などの葬儀に関わるものだ。年をとっていようがなかろうが、死は突然にやってくる。まさしく、「朝の紅顔、夕べの骸骨である」。熨斗袋の表書きをするのだが、これは通常「筆書き」になっている。もちろん、印刷の御霊前などの文字がついているのでそれを貼れば済む。ただ自分の名前は書かないといけない。

 字を習いたいという人の大半が「住所氏名だけでも筆書きしたい」というものである。だから、「理論とか何とかややこしいものはいいので、そこだけお願いします」と言ってくる人が絶えないのである。だが、考えてみてほしい。人生はバランスである。そこだけ良くなるなどということはありえないのである。

 もちろん、書家になるのではないのだから、あらゆることを知る必要はないが、字の上達のための基本的事項は学ばないとどうしようもない。学びのないところに進歩もないのは世の習いである。


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