2013年10月12日
Posted by カミロイ人 at
2013年10月12日12:05Comment(0)
心訓を書きたい!
清玄実用書道の講習で、いくつか有名な「家訓」とか「教訓」を書いていると紹介した。この様な家訓や教訓を書きたいと言ってきている受講者には、かなりこだわりがあるようなのだ。例えば、「福沢諭吉の心訓」と呼ばれるものを書きたいという受講者がいたのだが、この場合は楷書書きでA3サイズで書きたいという要望だった。もちろん縦書きだ。用紙は特に指定はなかったが、額に入れるので半紙や料紙のようなものではなく厚手の和紙に書きたいということになった。
清玄実用書の会では「ペン習字」の講習を除いて、受講者の要望もあり、たいていは「行書」、あるいは「楷行書」で「書き見本」を作っている。ご存じのように、楷書は字の上手い、下手がかなりはっきりする書体なので少し崩して世間の評価をぼかしてしまおうと考えるのである。他人を騙すばかりか自分も騙してやろうとする訳なのだが、ちょっとレベルが上がれば、これもだましが効かない世界だと分かってくるから不思議である。ごまかしを自分自身が許さなくなってくるのである。
これには、いくつか理由が考えられる。ひとつは講習会という会場で仲良し仲間と競って書くので、恥をかきたくないとばかりに集中して取り組むからであろう。もうひとつは、やはり熟練してくると、批評眼が養われて「字の狂いや歪み」、「書面の布置」のちぐはぐさなどがはっきり分かってくるからだと思われる。
自分の書きたいものがある場合は、特にそうで、納得がいくまで書き続ける様である。腱鞘炎にならない程度にしないと藪蛇になってしまうが。
今回は「福沢諭吉 心訓」を書いて額に入れて飾って毎日見るためのものを制作した。この心訓は結構多くの施設や会館で飾られているようで、「今度、この課題をやりますから」と言うと、「そうですか。この会館の2階にも飾っていますよ」と応じられてビックリしたことがある。
その「心訓」とは以下のものである。なお、これは教室用に楷行書で書いてあるものの一部である。
清玄実用書の会では「ペン習字」の講習を除いて、受講者の要望もあり、たいていは「行書」、あるいは「楷行書」で「書き見本」を作っている。ご存じのように、楷書は字の上手い、下手がかなりはっきりする書体なので少し崩して世間の評価をぼかしてしまおうと考えるのである。他人を騙すばかりか自分も騙してやろうとする訳なのだが、ちょっとレベルが上がれば、これもだましが効かない世界だと分かってくるから不思議である。ごまかしを自分自身が許さなくなってくるのである。
これには、いくつか理由が考えられる。ひとつは講習会という会場で仲良し仲間と競って書くので、恥をかきたくないとばかりに集中して取り組むからであろう。もうひとつは、やはり熟練してくると、批評眼が養われて「字の狂いや歪み」、「書面の布置」のちぐはぐさなどがはっきり分かってくるからだと思われる。
自分の書きたいものがある場合は、特にそうで、納得がいくまで書き続ける様である。腱鞘炎にならない程度にしないと藪蛇になってしまうが。
今回は「福沢諭吉 心訓」を書いて額に入れて飾って毎日見るためのものを制作した。この心訓は結構多くの施設や会館で飾られているようで、「今度、この課題をやりますから」と言うと、「そうですか。この会館の2階にも飾っていますよ」と応じられてビックリしたことがある。
その「心訓」とは以下のものである。なお、これは教室用に楷行書で書いてあるものの一部である。
