Posted by あしたさぬき.JP at

 

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2015年07月16日
Posted by カミロイ人 at Comment(0)

台風三連発

 7月の台風が3つ連続して発生し、(4つ目の12号も発生しているのだが)四国横断旅行をしている。現在、暴風雨が家の周りをうろついている。ゴーッとかビューとかバシューとか、それは家を軋ませて楽しんでいる。


http://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/typhoon/

 現在の私は課題に取り組んでいるわけでもなく、授業の準備をしているわけでもない。したがって、明日になって台風が高松をのし歩いても問題はない。授業を抱えていたら、明日の代替授業をどうしようとか、課題をどう作ろうかとか頭を悩ませていたに違いない。

 今年は昨年に増して気候不順で、暑中見舞いとか残暑見舞いをどう書いたらいいかちょっと迷うところだ。従来なら、

 暑中お見舞い申し上げます。

 厳しい暑さの中いかがお過ごしでしょうか?

 今年は家族そろって、避暑地に出かけて楽しい日々を過ごそうと考えております。

 珍しいお土産を期待しておいてください。

 それでは、皆様、お体に気を付けてお過ごしください。

                                  平成27年盛夏

 こんな感じで書こうと思っていたら、熱中症で死亡者が出るは、台風で死傷者が出るはで、果たして、こんなゆるい感じでいいのかな?と思った。とはいうものの、暗い文面で送ることの意味もないので、このままでもいいのかな?とも思った。人の環境はそれぞれなので、「こんな状況なんですが、どう書けばいいですか?」と聞かれたほうがやりやすい。文面だって、その人に合わせて変えられるし、書体だって合わせられる。この点、共通課題は融通が利かない。

 清玄書道教室では、自宅に来られる方には個別対応をしているので、人と違うようなものが欲しいという人は一度、ホームページをご覧になり、メールか電話で連絡いただければ、対応しています。ただし、いつでもOKというわけではありませんが。
http://milda2t.web.fc2.com/

  


2015年06月05日
Posted by カミロイ人 at Comment(0)

進歩のある字を書くには

 6月が始まった。農家は田植え前ということでいろいろ準備に忙しいころだ。農耕機械でできるから楽じゃないかという人もいるが、機械代が半端ではないし、昔のように人手をかけられないのでドッと疲労が来る。コンピュータ世界では設計通りいろんなことができるが、現実世界はそうはいかない。大量の泥と機械の入れない空間処理問題を解決しなければならないからだ。まあ、自分が動かなければ、何一つ終わらないという厳しい現実を教えてくれるよい機会ではある。

 さて、書家としての仕事はそう頻繁にあるものではないが、常に新しいものを生み出していくということは考えていかねばならない。アリスの赤の女王の言うとおり「ひとところに留まっていたければ全力で駆けなければならない」のである。

 まずは課題を見つけることが最初で、いつも同じものを書いていたのでは「書」ではなく、「習字」になってしまう。この課題を見つけるというのがまた難しい。何でもいいから書けばよいというものではないからだ。幸い、昔から集めた法帖帳や実用書道の書籍があるので、それを参考にできる。最近は、インターネットの情報も参考にできるので、幅広い情報収集ができるようになった。

 そうして課題を作って書いていくわけだが、字というのはやはり好みというものがある。私も江守賢治氏や狩田巻山氏の書が好きでたくさん集めている。古典の書も自分の感性に合ったものを集めている。王羲之や欧陽詢、藤原行成などが多い。あえて、自分に合わないものを探す必要はないのではと思う。まあ、無限に時間があり、暇を持て余している人は別として。人生は短し、されど歳月は長しである。



 課題を作っているときによく思うことなのだが、カタカナやアラビア数字が入っているととても処理しにくい。宛名書きや賞状、巻物、掲示文では仕方がないのかもしれないが、色紙や短冊、便箋などは漢字とひらがなで書きたいと思う。その方が、まとまりよく「栄える」からだ。そんな詩の例を示そう。(何度か暗唱したことのあるライスリングの詩だ)

例文)
  わが生をうけし地球の土を
  いまひとたび立たせたまえ
  わが目をして青空に浮く雲に
  涼しき地球の緑の丘に安らわせたまえ
                           地球の緑の丘 ロバート・ハインライン 矢野轍訳

清玄実用書の世界はここから  http://milda2t.web.fc2.com/

  


2015年05月20日
Posted by カミロイ人 at Comment(0)

和菓子の日があった

 「水無月」がやってくる。水無月というのは水の月という意味だという。途中に挟まっている「無」は無しの意味ではなく、連帯助詞なので「の」と訳すらしい。そうだったか、などと感心している場合ではない。前回も書いたのだが、我が家は農家なので6月の梅雨の時期に雨が降ってくれないと大変困るのだ。5月は結構雨が多かったので、空梅雨にならないことを祈るしかない。くれぐれも雨乞いが必要ないことを!

 今朝のニュースでは中国内モンゴルで巨大な砂嵐が発生したとのこと。今日明日にも日本に降り注ぐかもしれないという。この画像を見た人は「カフェマーブル」だとの言っている。今までこんなマーブルはなかったのに、なぜ今の時期に発生したのだろう?自然は不思議だ。本当に日本に降り注ぐとしたら、洗濯物を取り込んでおかないと。えっ、そんな問題じゃない。



 さて、清玄実用教室の来月の課題は「時の記念日」だったのだが、カレンダーを見ると「和菓子の日」なるものが16日にある。一体いつごろからこんなものが?ネットをググってみると。
http://www.mylohas.net/2013/06/030510616_1.htmlに解説があった。MY LOHASさんのページだ。

 それによると、848年(嘉祥元年)6月16日に、仁明天皇が御神託に基づき、16個のお菓子やお餅などを神前にお供えし、疫病を除け健康招福(けんこうしょうふく)を祈願したことが始まりだとか。「嘉祥(かじょう)」は「めでたいしるし」で、鎌倉時代には、6月16日に通貨16枚でお供えのお菓子を捧げることが、吉例として定着したそうな。

 江戸幕府においては、この日、「嘉祥頂戴(かじょうちょうだい)」と称し、御目見得以上の諸士に大広間で菓子をふるまった。また、当時の通貨「嘉祥通宝」の音が「勝(かつ)」に通じることから、嘉祥通宝16枚で16個のお菓子を買うと福を招くといい、「嘉祥喰」としてお菓子やお餅を買い、食べることが広まっていたという。

 こうした「嘉祥の祝(嘉祥の日)」を現代に復活させたのが「和菓子の日」だという。何事も最初は神事から始まっていると実感した。せっかくなので、和菓子の詩を探してみたのだが、寡聞にして見つからない。と済ましておけないので、以下のお話を清玄実用書で採用することにした。

 ヘンゼルとグレーテルより

とぼとぼと森の中を歩いていると、
クッキーやチョコレートやキャンデーでできた
「おかしの家」をみつけました。
二人が大喜びで
「おかしの家」を食べていると、
家の中からおそろしい顔をした
魔女があらわれました。

※この教訓は何なのだろう?   


2015年05月07日
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父の日がやってくる

 そろそろ田植えの準備にかかる時期になった。この地域は6月が一斉田植なのだが、このところの雨で田んぼを耕す日がなかなか難しい状況が続いている。もっと困るのが、雨が続いているので、6月が空梅雨になることだろう。

 さて、天候のことをあれこれ言ってみても仕方がないので、今回は迫りくる「父の日」を取り上げてみたい。父の人は文字通り父親に感謝を表す日だ。wikipediaで見てみると、世界中にあるらしい。日本では中国やアメリカ、イギリスと同じ6月の第3週の日曜日だが、一覧表を見ると、1月から12月まで世界中でばらついている。北欧諸国は11月だ。



 提唱元の米国の家庭では健在の場合は赤いバラ、亡くなっている場合は白いバラを贈るそうだが、日本では父の日には「黄色いリボン」を贈るよう推奨している。なぜなら、古来イギリスで「黄色」は身を守るための色とされており、この考え方がアメリカに渡り「幸福の黄色いリボン」となり「愛する人の無事を願うもの」となったからだという。黄色いリボンは幸せを呼ぶ象徴らしい。

 日本では1950年ごろから広がり始め、一般的な行事となったのは1980年代のことだが、商魂たくましいデパートが売り上げ攻勢を強め、父の日プレゼントとして、「黄色いバラ」や「白いバラ」、「ユリ」などが所狭しとディスプレイを飾るようになった。

 プレゼントにつける「メッセージ」なるものがあり、以下の例文のような形式で簡単に謝意を表す。

例文)
 父の日おめでとう
 いつも感謝しています
 子どもの頃はわからなかったお父さんの思いが
 今ははっきりわかります
 いつまでも元気で若々しく過ごしてください
   


2015年04月29日
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虎の幟があがっている

 もうあと数日で5月になる。5月は端午の節句があるので、鯉のぼりの季節でもあると思っていた。ところが、近所で信じられない幟を見た。虎である。虎の幟があがっているのである。こんなことってあるのかと思って調べてみた。

 黄河上流の霊山に「竜門」という激流があり、そこを逆登りきった鯉が龍に化身して天にまで昇っていったという故事に由来する「鯉のぼり」は日本では江戸時代に始まったものらしい。こいのぼりの竿の先端の玉(ぎょく)と矢車は鯉が昇龍となって天に昇るのを導くもの。鯉より上にはためく五色の吹き流しには魔除けや邪を祓う意味があって五つの色とは五行説思想に由来したものだそうだ。(http://www.kitanet.ne.jp/~kiya/paper/pp08body.htm参照)



 ということで、虎はどうした?と聞かれると困ってしまう。室町時代は武家の家紋の幟を立てていたらしいので、鯉でなくて問題はないようだ。今年の干支は未なので年回りを配慮してというわけでもない。5月(旧暦四月)は巳なのでこれでもない。6月(旧暦五月)も午(うま)の月なのでこれも違う。

 結局のところ、個人の趣味かと思っていたが、ふとしたきっかけで、関西地方では「張子の虎を送る習慣がある」という話にたどり着いた。関西では虎に救われたという話があるそうで、この話は江戸時代末期にさかのぼる。

 江戸時代末期に何があったかというと、大阪でコレラが大流行したらしい。この時、「虎頭殺鬼雄黄円(ことうさっきおうえん)」という虎の頭蓋骨を砕いて作った妙薬が少彦名神社で配られ、これ共に張子の虎も配ったところ、さすがのコレラもあっという間に治まったという。不思議な話である。(http://goodinfo-goodlife.com/archives/571.html参照)

 というわけで、近所の虎の幟の意味が少しわかった気がした。大阪人が来ているのですな。  


2015年03月23日
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生きた証を残す?

 冠婚葬祭は人生について回る必須のイベントである。人は生まれ、成長し、成熟し、老衰し、やがて去ってゆく。人間の寿命はせいぜい80年程度。バーナード・ショーのように老いて成熟することができれば、生き甲斐があるのだろうが、一般人はますます衰えていくわが身を嘆きながら歳を重ねるのが普通だ。

 そうは言っても、人は死ぬまで生きていなければならないのだから、何か生きた証を残しておきたいと思うものだ。それが人助け(慈善行為)だったり、創造(作品作り)だったり、伝記だったりする。お金があり、才能があれば、前者は可能だが、普通の人はそれがないのがふつうだ。だから、せめて自分の半生、あるいは一生を振り返って自伝を作ろうとする。



 人の記憶とはあいまいなものだ。しかも、自分の都合のいいことしか記憶から思い出さない。それで自伝を作るのだから、当然自画自賛のものができる。それで、満足できるのならそれでいいではないか。より高みを目指す者はそこで満足しないのだから。

 松尾芭蕉は病の床で一句ひねってわが身を笑ったという。

 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

 見果てぬ夢を追いかけて、さすらい人であるわが身の幻を見ていたのだろう。こういう句を書いてみるのも一興だろう。ただ、元気いっぱいの人にはまだまだ無縁の句である。  


2015年03月09日
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彼岸の到来

  産直では、お彼岸前になるととんでもない量の花が売れるそうだ。お彼岸にお墓参りの慣習が残っている証拠で、日本人らしいと言えば日本人らしい。どうも日本でしか行われていないようだ。

 彼岸は春と秋にあり、煩悩と迷いの世界である「此岸(しがん)」から悟りの世界「彼岸(ひがん)」へ到達するために、「六波羅蜜多(ろくはらみた)」の修行を行なう時期だという。知らなかったなあ。インド発生の仏教が故に、サンスクリット語を音で置き換えた日本語を何気なく使っているので意味も解らず儀式化していたのが本当のところだろう。

 六波羅蜜多というのは(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の6つの修行を1日毎に行うことだという。真正の仏教徒であれば、これは必須だろうが、私たち凡夫にはかなり厳しい制約である。



 書家としての私は書において、この六波羅の心を伝えるので精一杯である。行者としては彼岸の護摩を焚くのが一番の行であろう。

 さて、清玄実用書の世界では課題としては取り上げなかったものの、書き物として、彼岸で出される牡丹餅のことわざを考えてみたいと思う。

 ・ 棚から牡丹餅、あるいは開いた口に牡丹餅
 ・牡丹餅で腰打つ、あるいは牡丹餅食って砂糖の木に登る
 ・牡丹餅の塩の過ぎたのと女の口の過ぎたのは取り返しがつかない
 ・牡丹餅は米 辛抱は金
 ・牡丹餅は棚から落ちてこず

 牡丹餅に使う小豆(あずき)には魔を払う力があると信じられていたので、いろいろなことわざが生まれているようだ。短冊に書くには適当な句である。

  


2015年02月19日
Posted by カミロイ人 at Comment(0)

春が来た?

ぼんやりしていたら、あっという間に「節分」が終わり、もう3月が目前になってしまった。中国ではこれから旧正月を迎えるとかで大騒ぎしているが、日本では私学の受験の季節でそれどころではない状況だ。今日のニュースで東京や大阪などの大都会ではホテルが満杯で、一部のホテルでは1泊素泊まりで5万円という値段をつけているところがあるとのこと。驚きを通り越して、あきれ返ってしまう。

 日本の3月といえば、「桃の節句」や「春の彼岸」が本命だ。現在のように、豪華なひな壇になったのは江戸時代に入ってかららしい。江戸時代の初期に、京都の御所で盛大な「ひなまつり」が催されて以降、江戸の武家社会にも広まり、庶民の間にも定着していったとものだそうだ。

 白酒・菱餅・あられ・桃の花等を供えて祀るのが習わしだが、夜には、ちらし寿司と蛤のお吸い物でお祝いするものだという。今は家に女の子がいないので、この行事をすることはないのだが、甥の女の子供が2歳になっているので、そこでは派手にお祝いするのだろう。



 草の戸も住み替る代ぞひなの家 (松尾芭蕉)

 雛祭る都はづれや桃の月 (与謝蕪村)

 掌に飾つて見るや雛の市 (小林一茶)

 昔の歌人の有名な句があるので、それを短冊に書いてみるのも一興かもしれない。  


2015年01月23日
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ヒツジの世界はどんなもの?

 1月も半ばが過ぎ、正月気分も消えているこの頃だが、めったやたらと寒い日が続いている。さすがに雪が積もることはないが、粉雪や霰が舞うことはある。油断していると深刻な風邪やインフルエンザにやられてしまう。やっと、風の症状が治まったところなので再発しないように用心して厚着対策をしているところである。

 さて、今年の未(ヒツジ)について、年明けから課題を考えていたのだが、なかなかいいアイディアが浮かばなかった。私にとって未とは「鏡の国のアリス」の赤の女王の変身した姿しか浮かばないからだ。このイメージはジョン・レノンの歌った「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンド」なのである。どうして、そうなのかって。それは当時、そういう説が流行っていて、そう信じ込んでいたからだ。思い込みというのは恐ろしい。ちょっとやそっとでは決して忘れない。



 というわけで、あづま~る教室では、アリスの小舟にビートルズの歌の色紙が飾られている。マーマレイドの木にタンジェリンの空……という詩が行書で書いてある。ちょっとも不自然ではないところが不思議だ。

 もちろん、清玄教室(http://milda2t.web.fc2.com/)では、別のものを用意した。中国の漢詩である。その前には曹操の漢詩を書いたり、武田信玄公の新年の句を書いたりしたものだが、みなさん、黙々と練習しているので、あまり口出す余裕がない。まあ、そのほうが上達するので、それもありである。色紙に書くときにはできれば墨を使ってほしい。やっぱり発色が違うので、お奨めである。  


2014年12月29日
Posted by カミロイ人 at Comment(0)

餅をついたら

 いよいよ今年も数日を残し暮れていくことになる。風邪に祟られて寝正月になる人も出るかもしれない。今年の風邪はなかなか手ごわい。私も粉雪の舞う夜更けにしばらく外に出ていたせいか、それともワイシャツと背広だけで授業をしていたせいかドッと熱が出てしまった。体がだるくて、しかも関節部が痛い。おまけに頭がキンキンと痛み、ものを考えるのが苦しい。まあ、典型的な風邪の症状だ。

 先月はメインのコンピュータがシステムダウンし、削除したばかりだったので、これは弱り目に祟り目?かなと思ったりした。悪いことは重なっておこるという。ということは、良いことも重なっておこるということなので、来る年は良いことがドッとまとまってくるのかもしれない。年初の祈念は「招福万来」にすることにした。

 我が家では明日、餅つきをするのだが、最近は自前の餅つきはほとんど見かけなくなった。どうするのかといえばスーパーなどで買うのである。味気ないと言えば味気ないが、核家族化が進んでたくさん餅をつくっても食べきれないというのが現状らしい。



 餅の起源を探って見ると、日本ではモチは晴れの日の食べ物とされ、餅を食べることで神の霊力を体内に迎え、生命力の再生と補強を願う意味があるそうな。それであれば、正月に餅を食べて神々様の霊力を授かっておかなければ。

 餅つきは28日までという言い伝えもある。これは29日が二重に苦が来るという意味にとらえた場合で、逆にフクが来るととらえてこの日につく地方のあるという。まあとらえ方の違いである。

 鏡餅は31日につくと、一夜飾りでよくないと言われているので、30日までにはついておこう。えっ、飾らないからつかないって。まあ、そう言わずに日本古来の風習を楽しもうではありませんか。  


2014年12月16日
Posted by カミロイ人 at Comment(0)

年賀状の季節が来た

 年賀状の季節になった。15日受け付け開始で25日までに出せば元旦に届くとのことだ。郵便制度を信じていれば、必死に書くしかないだろう。もっとも、新年挨拶は「メール」と決めている人は気にもしていないかもしれないが。

 メールであっても、出そうと思っている人はまだ救いがある。(何の救いかわからないが)それでも、文面は考えなければならない。「おめでとう。今年もよろしくね」では、あまりに芸が無さすぎる。ちょっとは知性を感じさせるものを書きたいと思うのは、大人になった証拠だ。



 来年は乙未(きのとひつじ)の年である。未年を調べてみると、草木が果実を宿し、それが熟する時期だという。こういう語句を入れて書くと人とは違った文章ができる。あとは、近状を盛り込んで形式通りに書けばよいわけだ。メールならばそれで終わりだ。しかし、これを賀状にするとなると一工夫がいる。

 今一般化しているのは、パソコンの「差し込み印刷機能」を使って印刷することである。使い方が分からなかったり、レイアウトに自信がなければ、パソコンスクールに依頼するという手もある。まあ、自分で作るよりも立派なものができる可能性が高い。しかし、そんなことをしていれば、いつまで経っても人に依存するしかない。

 ボールペンや筆ペン、細筆などを使って作る場合は、パソコンとは比べ物にならないほどリスクがある。まず、書き損じが必ず発生する、行や列が曲がってしまう、手で書面を擦って汚してしまう、文面が多すぎて全部書ききれないなどなど。

 しかし、そういった経験を積んでいけば、近い将来に自分のスキルアップに繋がることは間違いない。機械に負けない自分に誇りを持てる日が来るかもしれない。  


2014年11月04日
Posted by カミロイ人 at Comment(0)

差が分かる年代?

 先日から熨斗袋の表書きを頼まれていて悩んでいた。何を悩んでいたかというと、依頼主は筆書き、擦り墨、楷行書を希望していたからだ。果たして、熨斗の表書きにそこまでする必要があるのだろうか?という疑問だった。

 プロの写真家の友人がいるので、同じような状況を設定して聞いてみた。
「クライアントから銀塩写真で撮って欲しい。デジタル写真ではなく、フィルムで撮って現像して欲しいという依頼はありますか?」
「商業写真を撮っているからないことはないが、あまり聞いたことはないね」
「そのですね。銀塩写真とデジタル写真に違いがあるんですか?」
「もちろんありますよ。フィルムの方が色に深みや厚みが出ます」
「誰にでも分かるんですか?」
「たぶん分かります。ただ較べないと分からないだろうね。ぼくだって状況によってはだまされるかもしれない」
「随分謙虚ですね」
「そりゃ、プロだから」

 この時点では、擦り墨と墨液にそんなに差が出て見えるものかどうか自信がなかった。展覧会では、確か発色の違いが出るので、できれば擦り墨を使うようにという記事を読んだことがあった。墨を擦るというのは結構時間と労力がかかるので、墨液に頼ることが多い。しかし、世の中は常に進んでいる。何と墨を擦る機械というものがあるのだ。

 というわけで、クライアントの要求通りに墨を擦り、熨斗袋に書いてみた。すると、やっぱり写真家の彼が言うように差が歴然とでることが分かった。墨色の発色がよく、深みがあるのだ。若干、香木が練り込んである墨なので匂いも悪くない。「比較検討」というのも研究課題としておかねばならないと思った。



 クライアントにはその場で残りの熨斗袋を書いて納得してもらったので一安心だ。サンプルで見せてもらった字体は楷書体でちょっとクセのある書き方だったので、そのような字を希望されたらどうしようと思っていた。以前にも、「ご希望の書家がいるのでしたら、そちらにお願いされた方がいいですよ」と返事をしたことがあるので、今回も同じような展開になるのではと危惧していたので、本当にほっとした。商売っ気がないとよく言われる。

 やはり、人を介して物事を進めるというのは気を遣うばかりで決定打が打てないので、今後は本人に来てもらって打ち合わせができるようにしたいと思っている。前回の表札の字も喜んでもらえたようなので、これも一安心である。清玄実用書の面目もこれで保てたので、今夜はぐっすり寝るとしよう。  


2014年10月24日
Posted by カミロイ人 at Comment(0)

大丈夫か?そのサイト

 世の中、いろいろと騒がしい。私は書道のホームページ(http://milda2t.web.fc2.com/)をFC2で開設しているのだが、このFC2が大変なことになっている。ご存じだと思うが、FC2の会員制アダルト動画サイトで逮捕者が出ているのだ。BLOGOSの記事によれば、インターネットの動画配信サイト「FC2動画」を実質的に運営していたとされる大阪の会社が9月30日、「公然わいせつほう助」などの容疑で、京都府警の家宅捜索を受けた。今回のほう助、すなわち「手助け」とは、利益を得るために違法ライブを放置したことだという。



 それでは、なぜFC2だけが摘発されたのだろうか。最所弁護士はこのように指摘していた。
 「これは推測になりますが、仮にFC2の違法動画に対する被害届が多かったとすれば、警察が動く理由になると思います。また、警察からの(違法動画についての)照会に対して、FC2側がキチンと対応しなかったということも可能性としては考えられます。もしくは、FC2側がとった対応について、警察が『それでは足りない』と判断したということかもしれません」。

 いずれにせよ、FC2のホームページ開設者やブログ開設者にとっては大きな迷惑で、ホームページやブログの信頼性が揺らぐことは間違いない。今すぐに閉鎖されることはないにしても、引っ越しを考えておかないと行けない状況になってきた。

 ブログに関しては、親切にも(引き抜きするために)ブログの引っ越しプログラムを用意しているプロバイダーもある。私は試しにLivedoorブログに引っ越しをしてみた。操作は簡単で30分もあれば、引っ越しできる。問題は2つとも運用しておき、閉鎖されたときに備えるか、それとも引っ越した後、FC2ブログを消去してしまうかだ。迷うところである。

 今のところ閉鎖されましたというお知らせもないので、そのままの状態にしているのだが、大丈夫だろうか?みらいサーバーでどうですか?という提案もあるのだが、稲刈りやもみすりで忙しくて積み残したままだ。

 それに最近身内の結婚式もあり、多忙な毎日が続いて心労も激しい。しばらく寝ていたい。結婚式では、新婦の挨拶というものがあり、会場にいるすべての人たちの名前を挙げ、それぞれにコメントをするという離れ業を見たばかりなので、夢かうつつか分からない状態にいるのも確かだ。  


2014年09月24日
Posted by カミロイ人 at Comment(0)

やっぱり、予想通りの結果

 秋本番といった気温とたたずまいになってきたが、風邪など引いていないだろうか?まさかデング熱とかエボラ出血熱にかかってくる人はいないと思うが、蚊には要注意。部屋にいても知らぬ間にやって来てぷっくり膨れて赤い肉玉を作ってくれる。かゆくて仕方がない。ホントに迷惑である。



 さて、清玄教室依頼の例の表札の件だが、やはりというか当たり前というか、NGになってしまった。施主さんの言うには、私は古い人間なので、氵(さんずい)を省略してにずいにするのは好きではない?でも、行書で書いて欲しいとのこと。丸みを帯びた字体が好きなのだという。文字も小さめにして、あまり目立たないようにしてほしい。

 氵を行書で書けばどうしてもにずいになってしまうので、本当に古い人間ならばこれでOKのはずだが、これでは子どもが読めないので氵を残る形にして欲しいという。それなら、最初から楷行書で書けばよかったわけだ。そういう細かいところは仲介を入れずに本人に確認するのが一番だ。それができないときには今回のような二度手間が発生する。(三度手間が発生することもある。)

 では持っていったものはどうなったかというと、丁寧に2種類共にコピーを取ったという。一体何にするのだろう?不思議である。気に入らなければ、趣旨に合うものをまた持ってきてと言えば良いだけの話である。見本にして芳名帳の名前書きの練習でもするのだろうか?

 今回はそういう訳で、また半切を切り直し、見本を何枚か書いた。楷書と行書の中間辺りの字である。サイズについては、表札を掛けたときに大きいと思っていたものが、実際は小さく見えたり、あるいは細すぎたりするので、コピーを貼り付けた表札で大きさ、太さを確認してから実際に彫った方が間違いがない。塀の大きさ取り付け面積によってそれぞれ異なるからだ。これが、手書きの表札の面白みであり、市販の出来合いのものとの違いである。要は施主が満足すればそれで良いのだ。取り付けた後、気に入らないから書き直してくれという場合は別料金が当たり前。

 これで、またNGなら書き直すだけのこと。それだけのことである。度重なれば、当然料金も上がる。注文住宅と同じである。最近、川端の民家で庭を直しているのを見かけたが、コンクリートで埋めたり、また掘り起こしたり、大理石を埋めたり、また剥がしたりしている。こんなに作り直していたら一体いくら費用がかかるのだろうと人事ながら心配である。
 
  


2014年09月20日
Posted by カミロイ人 at Comment(0)

表札の依頼を受ける

 消費税8%前の駆け込み需要の新築物件はほぼ終了したようだが、玄関前を舗装したり、植栽した庭を直したり、煉瓦や石組みの囲い壁を作ったりという住環境設定はまだ終っていないものらしい。私の家のまわりは、以前は田圃ばっかりだったが、今は住宅で密集している。世の中の移り変わりは早い。年寄りには早すぎる。

 先日、石の表札の名前書きの注文が入った。写真を見ると、どうも大理石のようだ。40.5×14(cm)なので結構大きな表札だ。これを嵌め込むらしい。表札の石や塀は全体的に白っぽいので、彫った後はそこに黒の墨を流し込む物のようだ。
 
 表札に使われる文字はいろいろある。細かくは何十種類だろうが、大別すると、楷書(かいしょ)、行書(ぎょうしょ)、隷書(れいしょ)、金紋(きんぶん)、篆書(てんしょ)などになるだろう。もちろん、最近はPOP体などというものも好まれるようなのでこれも含めるべきかもしれない。さらに、英語表記とか中国語表記、あるいはアラビア語表記とかもこれからは考えなければならないのかもしれない。書家も大変だ。

 先日、本屋で有名書家の字を書くロボットアーム付属の本が出ていたが、このままではロボットやら、コンピュータのフォントですべて代用されてしまうもしれない。風情のない世の中になったものである。



 さて、注文の表札は半紙に書いて欲しいとのことだったので、半切を寸法通りに切って濃墨で隷書と行書を書いた。さすがに全部の書体で書くのは大変だし、無理があるので施主さんが「これで良い」と思われるようなものを用意した訳だ。施主さんは「普通で良い」といったそうだが、この普通で良いが一番くせ者で、こちらが普通だと思っている物を持っていって満足されたためしがない。これは、会社の面接でも同じで「当社は普通の人を求めています」と言うのだが、本当に求めているのはその会社にとって普通の人で、世間一般の普通の人ではない。

 来週、どうなるのか決まるので、ハラハラものだが、ダメなら書き直せば良いと言うぐらいで構えていないと「うつ」になってしまう。世の中なるようにしかならないと腹をくくっておく方が精神の健康のためにはよい。そういうことだ。   


2014年08月31日
Posted by カミロイ人 at Comment(0)

祝儀袋か金子箱か?

 夏なのに、すでに秋の涼しさが舞い込んできている今日この頃だが、そろそろ結婚式が目白押しになる季節である。ジューンブライト(6月の花嫁)は農家にとっては田植えの時期で大きな迷惑だったが、9月の終わりから10月にかけては稲の刈り取りの時期でこれも大きな迷惑である。ただし、そんなこと言っていたらいつ結婚できるのかとなるので「この時期でも仕方がない」と折り合いを示す態度が要求される。

 さて、親元を離れた地に住む娘や息子に「結婚祝い」を贈りたいという親心は昔からのものである。まあ、「息子は息子」、「私は私」と割り切っている人も少なからずいるのでそんな心配など無用と切って捨てる場合もあるだろう。世の中いろいろだ。

 贈らない人はさておいて、何か贈り物をしたいと思っている人は「何を贈れば喜んでくれるだろうか?と首を捻って考えているはずだ。家具や車は都会ではやっかい物に過ぎない。電気製品か?と思っていても皆だいたい揃えて持っている。困った、困った。困った特にはジョーカーがある。つまり、石原伸晃環境相の言う「最後は金目でしょ」である。



 では、何も包まず裸で「ほら、持って行け」などとドラマのように渡すわけにはいかないのが現実だ。となれば,熨斗袋(金封)か金子箱が必要になる。熨斗袋は10万円程度なら市販の500円程度のもので十分だろう。(100金の熨斗袋もきれいなのがあるが、ここはひとつ奮発しよう)。しかし、単位がひとつ上がると、かさばるので、1,700~3,000円程度のものが撰ばれるようだ。さらにそれに×2~5になると紙幣を入れる封筒の上に付けて出す方法もあるようだ。

 もっとスマートに行こうと思ったら、桐の箱(金子箱)に入れればよい。聞いたところでは、親子であれば100万円の封は切らずにそのまま入れておいた方が子どもも札を数える必要もなく一般的だそうだ。もちろん、封を切って桐箱に入れた方が有り難みがあると思う人はそうした方がよい。

 まあ、あまり外見に金をかけず中身で勝負だという人は事務用封筒でも何ら差し支えない。中身の札だって新札でなくても問題ない。ただ、娘から
「もう、お父さんたら!!」
と言われるのは覚悟しておかねばならない。

 新札は各銀行で持ち出し数が決まっているようで、県外の銀行は基本的に100万まで、つまり100枚までしか用意できないという。また、当日すぐに交換ないし引き出しができない銀行もあるので、事前に確認した方がよいかもしれない。えっ、そんな金はないって。そうでしょうとも、そうでしょうとも。でもね、結婚式ですよ。  


2014年08月19日
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ネコは引き返さないか?

 最近、二度もネコを轢きそうになった。小さな黒い斑点模様が全身にあるネコだ。ネコは習性上、怖い時、逃げようとする時、パニックに陥った時、道を引き返す事が出来 ないと言われている。 そのまま突進して車にぶつかってくる場合が多い。今までのネコはそうだった。

 今回のネコは道の途中まで走り出てきて、ヘッドライトに照らされると、立ち止まって首を元の方向に向け引き返していったのである。「ほお、珍しい。引き返すネコだ」。ネコを撥ねずにすんで良かったと内心ほっとした。次の時は、道の真ん中に3匹の黒い斑点のネコが集まっていた。ヘッドライトが照らすと2匹はすぐに道の外に出たが、1匹はうずくまったままだった。ひょっとして轢かれたのか?そう思いながら、路上のネコを避けてハンドルを右に切った。



 カラパイア 8月6日の記事によれば、イギリスでは「黒猫は幸運のシンボル」とも言われるが、英国王立動物虐待防止協会(RSPCA)は7月29日、捨てられる黒猫の数が増加傾向にあると発表したという。同協会のスポークスマンは、「捨てられる黒猫が多いのは、たとえば見分けがつきにくいなどいくつか理由があるが、ほかの色柄の猫に比べて写真うつりが悪いことも一因だと考えている」と話した。ネコは写真写りなんかで差別して欲しくないはずだが。

 8月17日は「黒ネコ感謝の日」だったらしい。黒猫に関する諺には不吉なものが多いのだが、縁起の悪さを逆手にとって感謝するというのも面白いかもしれない。でも、目の前をクロネコが横切ると不安になる。今日一日がブルーんいなる。しかし、クロネコヤマトの配達員さんが荷物を届けてくれるとご機嫌になる。そうか、そういうことだったんだ。いつも配達ご苦労さんです。




  


2014年08月03日
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これはなんだろう?

 台風11号と12号の影響ということで、香川県下は猛烈な雨に襲われている。他の県もすごいらしいが、当地も降り止まない雨に困っている。さわやかな雨というものはないのだろうか?じめじめとして不愉快にもほどがある。

 さて、こんな不機嫌な折に、いやなものを見てしまった。みなさんも見たかもしれないが、内閣人事局の板看板である。稲田朋美氏が書いたものだというが、これを本当に掲げておくのだろうか?一緒にいる安倍首相は達筆で知られた御仁である。國酒、不動心、玉誠、夢などの揮毫が有名だ。ネット検索すればすぐに引っかかる。

 福井新聞5月30日の記事である。省庁の幹部人事を一元管理する内閣人事局発足に合わせ、稲田朋美国家公務員制度担当相は30日、安倍晋三首相、菅義偉官房長官らとともに、事務局が置かれる東京・永田町の合同庁舎に看板を設置した。看板を揮毫(きごう)した稲田氏は「政府一丸となって内閣の重要課題に取り組む人事を行う体制をつくっていく」と決意を述べた。

 稲田氏は看板について「組織がきちんと機能してほしいという思いを込め、一気に書き上げた」という。安倍首相は「大変みずみずしい字だ」と評価し「積年の課題だった内閣人事局がいよいよ誕生した。



「みずみずしい字」がこれである。現代書道なのだろうか?さっぱり理解できない。他の省庁の題字をまとめたものがあったので、それを見てみよう。やっぱり今回の稲田氏の書は理解できない。みなさん、そう思いませんか?安倍首相の感性も全く理解できない。


http://www.asahi.com/articles/DA3S11275153.html  


2014年08月01日
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目黒のサンマ

 消費税が上がってから、習いごとをする人が減っているようだ。まあ、無理もない。消費税は3%上がったのだが、便乗値上げやら、公共料金の値上げ(固定資産税から市県民税、健康保険料などなど)目白押しで趣味にかけるお金がなくなったのだと思われる。政府はこれからビールや携帯電話、はては死亡税などというものを作って死んでからもお金を巻き上げようと企んでいるようだ。国にお金がたりなければ、政治家の数や官僚の天下りを半減するだけで十分だと思うのだが、皆さんはどう考えているのでしょうか?本当に一体どこまで税金を上げるつもりなのだろうか?

 ダイエットのためにジムに通っていた人は健康器具を買ってジム通いをやめたそうだ。経費節約のためだろうが、家でトレーニングなんてできるものではない。周りに仲間がいて初めてダイエットに身が入るというものだ。趣味の習い事だって同じで、自分一人でできる人は30%もいない。これは通信教育が続かないことからもよく知られた事実である。学ぶ仲間は大切だ。自分一人だと解決できない問題も教えてもらえたり、その人を見ているだけで分かったりする。ありがたいことだが、意外と見過ごされている。

 さて、今回は目黒の「さんままつり 」なるものを取り上げてみたい。これは、落語の名作「目黒のさんま」を記念し、毎年9月中旬の日曜日に目黒区民まつりの一環として行われるものだ。東北大震災で津波の被害を受けた気仙沼市の協力により、例年、気仙沼港直送のさんまの塩焼き5,000尾が振舞われるとのことだ。こちらの方の正式名称は「目黒のさんま祭」で「祭り」の「り」が入らないそうだ。

 「目黒のさんま祭り」は目黒区の祭りとは1週間ほど日程をずらして開催されており、宮古市が全面的にバックアップしており、振舞われるさんまの塩焼きは6,000尾とのこと。気仙沼より1000匹も多い。

 昔は庶民の魚と言われていた「サンマ」も、海流の変化で漁獲量が減り、高級魚の仲間入りをしているとか。『戦後最大の不漁』とか『未曾有の危機』なんて報道されると、「おお、サンマよおまえもか」と呻いてしまいそうだ。マスコミは基本的に豊漁よりも、不漁の方を好んで記事にし、消費者を煽るような記事を書くのが通例なので、何ごとも鵜呑みにしないのが賢明である。



 目黒のサンマは、権力に対する風刺であるが、サンマと聞けばやはりこんがり焼いて食べてみたいものである。最近の調理器はサンマを焼いても煙を出さないという。便利というか風情がないというか、現代はこういうものである。

「殿、御注文のさんまです。」
「なに、これがさんまと申すか、ばかに白いではないか、たしかもっと黒くこげていたように思ったが」
「いいえさんまに間違いありません」
「さようか、どれどれ、う~んこのにおいはまさしくさんまじゃ、これさんまよ、恋しかったぞ」
殿様感涙にむせんでひとくち召し上がったが、ぱさぱさのさんまはおいしくなかった。
「これがさんまか?」
「御意」
「ふ~ん、このさんま、いずれよりとりよせたのじゃ」
「日本橋魚河岸にござります」
「あっ、それはいかん、さんまは目黒にかぎる」

もと落語研究会主将のカンガーさんのものが面白いので台詞のみ抜粋で紹介した。URLはこちら。
http://asakuratosho.sets.ne.jp/tosyo/meguro.htm
  


2014年07月21日
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海の日が来たぞ

 台風がそれたと思ったら、暑い夏がやって来た。クマゼミも近くで鳴いている。トンボだって池のまわりで周回している。本当に夏が来た。汗と補給液の縄引きが始まり、お腹の中でタプンタプンと音がする。それを狙ってか蚊が張りついて来るので困ったものだ。

 天気予報の通りに雨が降らないので、 農家は田圃の対策がたいへんだ。畑だって雑草がはびこってたいへんなことに変わりはない。と言っても炎天下では仕事にならないので、少し涼しい朝方か日の沈みかけの夕方しか仕事をしたくない。暑いからね。

 さて、七夕も終ったし、京都の祇園祭も後半に突入している。今日は「海の日」ということで、海に繰り出している家族連れが多いに違いない。wikipediaによれば、海の日は、平成7年に制定され、平成8年)から施行された日本の国民の祝日の一つだという。制定当初は7月20日だったが、平成15年の祝日法改正(ハッピーマンデー制度)により、7月の第3月曜日となったそうだ。



 「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」という趣旨で、「世界の国々の中で『海の日』を国民の祝日としている国は唯一日本だけ」だという。大航海時代を経験したヨーロッパでこの日がないのは不思議な話だ。

 ディスニー・シー辺りが満杯かもしれない。何しろこの休日は始まったばかりでたいしたイベントが行なわれていないようなので、そちらへ流れるだろう。海水浴も昔は問題なかったが、最近は原発から海に流した放射能問題がクローズアップされて、人気がた落ち。雨でも降ればどこへ行けばいいのか?海洋館でも行く?それともクジラウォッチングかイルカウォッチングでも?

 書道作品や硬筆作品もこの時期に書かれるのだが、書いていると紙に手がひっついて動いてしまう。浮かして書けばいいじゃないかと言われるかもしれないが、細字はなかなかそうはいかない。amazonで探してみたが適当な商品がない。やっぱり、自分で作るしかないか。