Posted by あしたさぬき.JP at ◆

 

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2012年11月03日
Posted by カミロイ人 at ◆2012年11月03日12:09Comment(0)

なぞり書きの効用

 「なぞり書き」というものがある。手本の上から、あるいは薄く書かれた手本の字の上をなぞって書いていく方法である。この種の練習帳は一般の書店でもたくさん出ているのでご存じだろう。

 でも、書道の先生からは「手本を敷き写して書くとよくない」と言われるはずだ。これは、字の線に勢いがなくなることを戒めるために言っている場合が多い。ただし、先生に提出する清書をなぞり書きするのは論外で、時々こういう輩がいるので「例外なく禁止」ということになったのかもしれない。

 だが、たとえ「マス目」を使っていても、「形として見えないものがある」ということを前提にすれば、なぞり書きにも有用性が見出せるのではないかと思う。これはどういうことかというと、初心者、中級者、上級者、プロで、それぞれ見えているものが違うのだ。何をバカなことをと思うかもしれないが、現実はそうなのである。初心者や中級者には「本当の字の配置」が見えていないのだ。

 ではどういう風に見えているかといえば、「平坦な構造のない1枚の絵」を見ているようである。「なるほどね。ふ~ん」という感じである。それの何が問題なのだろう?これは何も見ていないに等しいのである。

 上級者は、書空間における各線の位置と長さ、速度、濃度などの構造を分析的に見ているのである。この違いが字を書いた時に表れる。初心者、中級者は、それを、「なぞり書き」を通じて習得することを目指すのである。いかに見えていないかを知る手段にするのだ。

 しかし、こでも性格の問題が出てくる。自分の字を変えたいと思わない人は「手本の字を見ない」と書いたことを覚えているだろうか?実は、このなぞり書きも同様で、なぞり書きを続けてもいっこうに字が変わらない人がいる。その人は本心(潜在意識)では変わりたくないのだ。「やってみたが、やっぱりダメだ」ということにしたいのである。

 さらに、理論はいろいろな方法を教えてくれるが、見るとやるではかなり隔たりがある。ペンや筆が思うように動いてくれないのである。目で見たように書こうとするのだが、曲がったり、切れたり、外れたりと本当に嫌になるぐらいうまくいかない。自分には才能がないと自信を無くしてしまう。結局、先天的な才能の問題だよと逃げたくなる。だが、江戸時代でも文字の書ける庶民は結構優れた字を書いていたではないか。明治・大正時代の人の字を見ても「いいね」と思うものが多い。特別に優れた字以外は才能の問題ではないのだと分かるではないか。

 ここは辛抱が必要だ。ものが見えてきて、それをうまくトレースできるようになるまでは時間がかかるのだ。短気を起こして、すぐに投げ出してしまっては元も子もない。自分の嫌な性格との戦いだ。